2022年 09月 20日
23: 動作と自己イメージ4
それは、既にご紹介したオイゲン・ヘリゲル氏の弓道体験の中にも数多く語られていました。
そうしたとき、ヘリゲル氏の心境の段階に応じて具体的な指示は違いましたが、弓聖・阿波研造師範は「自分がするのではなく、”それがなす”時を待つように」と繰り返し促しています。
「それがなす」とは、言葉を変えれば「無心になる」ということです。
「自分」を主語にして「どのようにするか」を考えている間中、潜在意識では「できない自分」が主語となって「体」に働きかけているはずです。
その主語を「それ」にしたとき、ヘリゲル氏の西洋的な理性的思考の殻の中にいる「自分」という存在が「いずれ必ず無我になる」ということを、弓聖・阿波研造師範は長い修練の中で会得していたのだと思えます。
今改めて、数多くの日本的な武芸などの「道」の中で”動作”を介して目指すものは、仏教的な「無我」という心境の中に在るときの”自己イメージ”だと実感します。
そして「体が自分だ」と思い込んでいる現代人こそ、「無我という自己イメージをもつ」ための段階的な修練の必要が大きいと強く感じています。
by k56422
| 2022-09-20 01:32
| 身体教養・リニューアル版
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