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女性のための「身体教養のススメ」~Botaniaにむけて~

実際に仕事として体に関わっていると、「私たちが未来に”何を信じているか”という事が、体の未来に直結している」ことを繰り返し実感します。それは、日常生活ではなかなか実感しがたいことですが、仕事というレベルで客観的に体に関わることで、実感できるようになったのです。
たとえば普通の目では確認できないものを、望遠レンズで見るとはっきりすることに似ています。

私は仕事として体に関わる中で、体の本質は「善」だと確信するようになりました。
この「善」は、体が常に「全体としてよくなろうとする性質」をもっていることです。

「全体としてよくなろうとする性質」は、生理学的にはホメオスタシスというバランスに代表される原理ですが、単にホメオスタシスと呼ばれる「調和のシステム」としてだけではありません。
もっと奥深くの体自身の意識として「他を思う優しさ」に満ちていると思えるのです。
そしてその「優しさ」ゆえに、時に病んでいくことがあることを感じています。それは心優しい幼い子供たちの姿に似ていると、心から思えます。

そうした子供たちのような体を、慈しみ育む力をもっているのは「私たち」であり、「私たちの信じている未来像」が体の未来像です。なぜなら、体は子供たちのように「今この瞬間」を生きることに精一杯で、未来のことなど考えることもしないからです。
だから、私たちが死守しなければならないのは、その未来が明るい光で満ちていることを「心から信じていること」です。


# by k56422 | 2022-12-20 19:44 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)

私はクリスチャンではありませんが、毎年12月の空気の中に、クリスマスの聖なる祝福が満ちてくるように感じます。

先日の『メサイア』でも、聖歌やゴスペルでも、キリスト教文化圏では「神を讃える」素直な表現が、とても豊かに許されていることを強く感じます。
♪♪ 神は 光 ♪♪ 神は 偉大 ♪♪ 神を 愛しています ♪♪と歓喜と情熱をもって歌うのです。たとえその人がキリスト者でなくとも、♪その歌詞を口ずさんでいれば、いつでもどこでも表現できるのです。

勿論、私も神仏への尊崇の思いをもってはいますが、日本にはその思いを素直に開放するような”日常的な表現方法”が薄いことを残念に思います。

それでも私は日本が大好きで、日本人として、日本に生まれたことを感謝しています。
24日25日にはクリスマスに愛を思い(キリスト教)、31日には除夜の鐘で一年の思いの誤りを自省し(仏教)、1月1日にはまた新たな一年をスタートする(神道)。

もし一年という単位がなく、ただただ日と月が繰り返されるだけだったら・・人生の締め切り効果は「死」だけになってしまいそうです。
こんな素敵な国で、これからの人生も、幾たびもの年末年始を迎えることができることに、心からの感謝を思います。

# by k56422 | 2022-12-19 01:39 | 季節のあれこれ | Comments(0)

体は時として、私たちの潜在的ニーズを汲み取って、それを上手に具現化してくれます。

「何も今、こんなときに限って・・・」と思うようなタイミングで、何かしらの体調不良や病気になることがあります。ともするとそんな時は、私たちの体からの「粋な計らい」かもしれません。

そうした体調不良や病気が表面化する直前まで、私たちの多くは「無理」を重ねていることが多いはずです。その無理を、普通は肉体的な限界だと思いがちですが、本当は肉体的な問題ではなく、私たち自身の「能力的な限界」が続いているという意味の「無理」です。

こういうとき体は、私的にも公的にも、誰もが受け入れてくれるような形で「充電時間」を作ってくれます。この充電時間が、体調不良や病気です。

「病は 気から」といいますが、自分の能力に余裕があって「気持ち」が充実していれば、肉体的な無理はある程度の許容範囲を持っています。ところが、能力的なイノベーションが追いつかないときは、「気持ち」の方が焦ったり苛立ったりして、相当のストレスとして心と体のエネルギーを浪費します。
こういうときの判断や挑戦は、かえって大きなマイナスの種になることがしばしばあります。

そんなとき体は、私たちの潜在的なSOSを聞き入れて「不調や病気」を起こしてくれます。そのお陰で私たちは、私的にも公的にも大事にいたらずに、次のチャンスに備えることができたりするのです。

今、そんなタイミングがすぐ傍まできているように感じているとしたら、「少しのペースダウンをしながら、自分を豊かにすることに少しの時間をください。」
体は、きっとそう言っていると思います。




# by k56422 | 2022-12-16 02:18 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)

病は気から(始まる)。
「病気」は「病んでいる気」ですが、♪この気 なんの気 気になる 気~♪と考えてみました。

日本の昔の人々は「気」という目に見えないパワーが存在することを知っていました。
病気の反対は「元気」ですから、「元の気」は善いパワーだという前提です。その善いパワーが悪くなっていって、病んだ状態になっているのが病気です。

もうひとつ「気配」というものもあります。目にはみえていないけれども、確かに自分以外の「存在」が感じ取れる状態を実感するときがあります。

同じ字を使っても「気配り」となれば、実際に目の前の行為や、周辺の環境や、ひとつひとつの物にまで、自分や誰かの「思い」を実感するときがあります。

約120年前のアレンは「彼の肉体は、彼自身の思いのパワーによって作られている」と繰り返し、私たち自身の「思い」の「在り方」が「パワー」なのだと教えてくれます。
つまり「思い」の「状態や方向性」が「善いパワーにも、悪いパワーにも」なって、私たちの体を刻々と作っていることを知っていることが大切だといいます。

そして、それは「病は、気持ちから始まって、その病んだ気持ちで、体が病気になるのだ」という、日本の昔の人々の知恵と同じでした。
現代の私たちの体にも、そうした沢山の知恵が、きっと目覚めるときを待っているはずです。



# by k56422 | 2022-12-14 14:44 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)

肉体は「心の召使い」だと、アレンは語ります。

心の中でめぐらされる、意識的な思いであろうと、反射的な思いであろうと、その思いの善悪は関係なしに、常に肉体は思いに従う「繊細で柔軟な装置であり、繰り返される思いに速やかに反応する召使いだ」と例えます。

ですから、病気と健康は「心の中でめぐらされる思いの明らかな表れ」で、「病気を恐れながら生きている人たちは、やがて実際に病気を手にする」ことができ、「あらゆる種類の不安が肉体を混乱させ、混乱した肉体は、病気に対して無防備になる」のだと、そして「悪意・羨望・怒り・不安・失望は、肉体から健康と美しさを奪い去る」のだと警告しています。

「もしあなたが自分の肉体を完璧な状態にしたいのなら、自分の心を<恐怖や怒りやあらゆる種類の不安>から守ることです。肉体を再生したいのなら、心を美しくすることです。」
「あらゆる生命体に対する深い思いやりとともに毎日を生きる人間には、大いなる安らぎがもたらされます。」と諭します。

1902年にジェームス・アレンが2冊目の著書で語った言葉は、2023年を迎えようとしている私たちへの大きな警告と励ましです。

もし現代にアレンが生きていたら、きっと「コロナが長引く環境も、みんなの心の中にくすぶる”まだ見ぬ不安”が創っているのだ。」と教えてくれるだろうと思うのです。

# by k56422 | 2022-12-08 02:07 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)