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女性のための「身体教養のススメ」~Botaniaにむけて~

12月。冬の始まりに、何故か思いは遠い春をより近く感じています。
もしかしたら、繰り返し見ているふたつのドラマのせいかもしれません。
人生のひとつひとつを丁寧に受け止めて、そして素直な心に従って懸命に進んでいく主人公たちに、憧れと共感をおぼえます。

フジテレビ『silent』とNetflix『First Love初恋』。ふたつのドラマは、偶然にも、再会から始まるコミニケーションのもどかしさが、私の大好きな柔らかいブルー・グリーンの色調に包まれて、時々に印象的な服のブルーと音楽と共にちりばめられています。

ブルーという色には、全てを溶かし込んで、まだ透明なものを失わない、そういう力が込められているような気がします。私も、ブルーのようでありたい。心から、そう思います。

(ヤエ)そうやって、ソファの上で行った気になってる。

(ウタ)それ、そんなに難しくないですよ。
道中で退屈しないための本と、ポケットに少しのお金があれば。

(ヤエ)でもある時から挑戦するのを止めて、思考を停止したら動けなくなったの。
結局何にもしないまんま、この人生に満足だって自分に言い聞かせている。ほら「慣性の法則」ってあるでしょ!地球に重力がある限り、一度止まったものはその場に止まり続ける。

(ウタ)その動かないはずのものに力を加えるのが、夢だったり、好奇心だったり、愛する人の存在だったり・・するんじゃないのかな。
「心に芽生えた、どうにもならない欲求は、時に岩をも動かす」有名な法則ですよ。たしかニュートンが300年前に証明したはず。
                         Netflixの『First Love初恋』最終話から

# by k56422 | 2022-12-03 02:03 | 季節のあれこれ | Comments(0)

55:存在を与える

「かくれんぼ」は子供の頃の遊びです。
自分を見つけてくれて、自分の名前を嬉しそうに呼んでくれることを心待ちしながら、じっと物陰に身を隠して待つ遊びです。

広い広いからだの中には、隠れるところがいっぱいあって、いつの間にか忘れられてしまう”存在”がいます。それでも見つけてくれることを信じて、じっと隠れているのです。

からだの中で隠れている存在の時間と空間は、見つけてもらえるまで、その存在と一緒にそこに留まります。それは、種が土に撒かれる日を待つように、じっと時空間を抱えたまま留まっているのです。

うっかりと探すことを忘れたまま大人になった自分が、何かの拍子に、物陰にまだじっと隠れている懐かしい姿を、遠くから見る日がきます。
その時、その存在を忘れていた自分が責められるようで、見て見ぬ振りをしたくなるのです。

でも、どうか覚えておいてください。
かくれんぼで見つかったとき、私たちはとっても嬉しかったことを。
それは遊びの中で、小さいけれど、「存在を与えられたような喜び」だったということを。
だから勇気をだして、見つけてあげてください。

あなたが見つけてくれたときから、芽吹くように本来の姿に向かって動き出していくのです。
存在を与える。それが、生命の営みの始まりです。


# by k56422 | 2022-11-28 23:32 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)

今日はクライアントご夫妻がコーラスで出演されるコンサートにお招きいただき、四谷の紀尾井ホールへ初めて出かけました。

四谷・上智大学と隣り合わせた地にあって、クリスマスの近づく季節に、ヘンデルの『メサイア』全曲通しのコンサートは、何かより宗教的な雰囲気が濃く感じられました。
主催者であり指揮者の小田氏とバスバリトン・ソリスト稲垣氏が共に牧師であることや、ソプラノ・ソリストのオクサーナさんが18年前から日本で公演活動をするウクライナ人で、彼女の祖国の人々への支援を込めたコンサートであったからかもしれません。

『メサイア』は、一部キリスト生誕、二部キリストの受難と復活、三部キリストのメシア即位と賛美で構成され、その二部最後が「ハレルヤ・コーラス」です。
ヘンデル最晩年の演奏会で、英国王ジョージ二世が「ハレルヤ・コーラス」を起立して聴いたという故事に倣って、満場起立の中で聴く「ハレルヤ・コーラス」は光明荘厳でした。

客席の私も高校卒業後50年余を経て、アルトパートをクチパクで参加させて頂き、よけいに涙目になりました。本当に素敵なコンサートをありがとうございました。
メサイアの静かな余韻のままに、ソフィア通り沿いの土手から見る残照の夕景が、より美しく感じられました。


# by k56422 | 2022-11-26 21:04 | 季節のあれこれ | Comments(0)

『からだはアパートではありません』の話は実際に私の体験談で、一般的ではないとても珍しい体験だと思っていました。ところが最近読んだ本の中に、同類の体験談が語られていました。

それによると、人間の想念が時として執着のような強い念波になると、”執念”と呼ばれる強いマイナスエネルギーになり、例えばその執念がある対象者にむかうと、その執念は物理的な力をもって対象者にマイナス作用を引き起こすのだそうです。
更に興味深いことは、その執念を発信している人間の”性別”を判定することができるそうなのです。

つまり女性の執念か、男性の執念か、が判定できるというのです。
結論だけいえば、女性の執念は対象者のからだの左側に、男性の執念は対象者の右側に、それぞれマイナスの影響をあらわすのだそうです。
このことを知って、前回までのブログで書いた私のからだの「間借り人」が女性で、私のからだの左側に作用していたことが、ただの偶然ではなく、何かしらの霊的な法則性に沿っていたのだと実感しました。

とくに驚いたことは、こうした「からだに悪影響を反映させるような執念」が、死んだ人の怨念だけではなくて、リアルタイムに生きている人からの悪い想念である場合もあるのだということです。
夢枕獏の『陰陽師』や紫式部の『源氏物語』には、生きながらに人のからだに障りを起こす人々が描かれていましたが、時代や科学技術が変わっても、人の思いの法則性は昔も今もかわらない”普遍的なもの”だということが分かります。

少なくとも、私の思いが誰かを苦しめることがないように、心穏やかに生きていこうと静かな決意をしました。


# by k56422 | 2022-11-23 20:00 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)

明らかに、その「間借り人」は、私の幼い頃から私との関係性をもっていたことが感じ取れました。それは、寂しかった幼い私が願ったことなのかも知れません。

それでも今の私は、その頃の幼く悲しい子供ではありません。
「間借り人」を体の中に置いて暮らすような生活を望んでもいません。

何度も繰り返される、私の情を引こうとするような問いに、私の心の中で無言の言葉がきっぱりと発しました。「いりません。」
その女性の存在が、今の私には全く必要がない!という思いを、強く発していました。

彼女の何度目かの問いかけの後、私の目線のカメラは、彼女が薄暗いカフェの片隅に腰掛けたまま、しだいしだいに遠のいて、フェイドアウトしていくシーンを淡々と映していました。
フィーネです。

それから暫く後になって、私は左股関節の内空間に、すっぽりと空いたアボガド形の穴の様な空洞をみつけることになりました。
本当に長い期間、私の体でありながら、私ではないものが住み込んでいた空間です。
ようやく私の体に戻るための道程がスタートしました。

それは今も予想以上にタフな道ですが、反面様々な発見と試行錯誤の楽しみに出会わせてくれます。そしてそれが誰かのお役にたっていることが、今は私の資源でもあります。

# by k56422 | 2022-11-22 20:00 | 身体教養・リニューアル版 | Comments(0)