『からだはアパートではありません』の話は実際に私の体験談で、一般的ではないとても珍しい体験だと思っていました。ところが最近読んだ本の中に、同類の体験談が語られていました。
それによると、人間の想念が時として執着のような強い念波になると、”執念”と呼ばれる強いマイナスエネルギーになり、例えばその執念がある対象者にむかうと、その執念は物理的な力をもって対象者にマイナス作用を引き起こすのだそうです。
更に興味深いことは、その執念を発信している人間の”性別”を判定することができるそうなのです。
つまり女性の執念か、男性の執念か、が判定できるというのです。
結論だけいえば、女性の執念は対象者のからだの左側に、男性の執念は対象者の右側に、それぞれマイナスの影響をあらわすのだそうです。
このことを知って、前回までのブログで書いた私のからだの「間借り人」が女性で、私のからだの左側に作用していたことが、ただの偶然ではなく、何かしらの霊的な法則性に沿っていたのだと実感しました。
とくに驚いたことは、こうした「からだに悪影響を反映させるような執念」が、死んだ人の怨念だけではなくて、リアルタイムに生きている人からの悪い想念である場合もあるのだということです。
夢枕獏の『陰陽師』や紫式部の『源氏物語』には、生きながらに人のからだに障りを起こす人々が描かれていましたが、時代や科学技術が変わっても、人の思いの法則性は昔も今もかわらない”普遍的なもの”だということが分かります。
少なくとも、私の思いが誰かを苦しめることがないように、心穏やかに生きていこうと静かな決意をしました。
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by k56422
| 2022-11-23 20:00
| 身体教養・リニューアル版
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明らかに、その「間借り人」は、私の幼い頃から私との関係性をもっていたことが感じ取れました。それは、寂しかった幼い私が願ったことなのかも知れません。
それでも今の私は、その頃の幼く悲しい子供ではありません。
「間借り人」を体の中に置いて暮らすような生活を望んでもいません。
何度も繰り返される、私の情を引こうとするような問いに、私の心の中で無言の言葉がきっぱりと発しました。「いりません。」
その女性の存在が、今の私には全く必要がない!という思いを、強く発していました。
彼女の何度目かの問いかけの後、私の目線のカメラは、彼女が薄暗いカフェの片隅に腰掛けたまま、しだいしだいに遠のいて、フェイドアウトしていくシーンを淡々と映していました。
フィーネです。
それから暫く後になって、私は左股関節の内空間に、すっぽりと空いたアボガド形の穴の様な空洞をみつけることになりました。
本当に長い期間、私の体でありながら、私ではないものが住み込んでいた空間です。
ようやく私の体に戻るための道程がスタートしました。
それは今も予想以上にタフな道ですが、反面様々な発見と試行錯誤の楽しみに出会わせてくれます。そしてそれが誰かのお役にたっていることが、今は私の資源でもあります。
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by k56422
| 2022-11-22 20:00
| 身体教養・リニューアル版
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40代の頃、何となく身体的な感覚で「自分以外の存在」として感じ取っていた左股関節の「間借り人」が、50代になって具体的に「見えているもの」になったことに、案外と冷静でした。
その頃には、ロルファーという仕事でクライアントの方々の体に関わっていましたし、自分自身の体の内的空間の広がりがどれほど大きいかを何度も実際に体感していたからかもしれません。
ですから逆に、その枯れたアボガドのような空間がどれほど狭いものかに驚きました。
その狭い狭い空間に、キチキチにはまり込むようにして居る「間借り人」は、明らかに女性でした。ただ、即身成仏のミイラのように、皮膚の色も質感も、皆赤茶けて生干しの干物のようにシワシワで、鶏がらのような痩せた女性でした。
私がその哀れとしか言いようのない女性を上から見定めているうちに、いつのまにか、その女性を取巻く景色は、フィルム・ノワールのフランス映画の一場面のような場所に移っていました。
薄暗いカフェの片隅に置かれた古びたアイアン製のアールデコの2つの椅子と小さく丸い一台のカフェ・テーブルだけが、暗がりの中で僅かなライトに浮かんでいます。その明かりで、床には大きな白と黒のタイル模様も見えましたが、その周りは暗がりの中でした。
先ほどまで、私が見下ろすように覗き見ていたミイラのような女性は、私に後姿を見せるような角度で、薄暗がりのライトの中に、白っぽいペラペラのカーディガンを肩から引きずるように羽織っていました。その首元は、これもミイラに残った頭髪のような髪に隠れていました。
その女性が座っている斜め右前に、もう一脚のアイアンの椅子が空いていて、なぜか私がその椅子に座ることを待っていることが、彼女の全身から感じ取ることができました。
けれども、私のカメラのような目線は、彼女から10メートルほどの場所に居て、「引きの撮影」でもしているかのように動くことがありませんでした。
いつの間にか、彼女の一人芝居のような、くぐもった声が聞えました。
「本当に いいのか・・?」
「今まで ずっと お前の面倒をみてきたろう?」
「本当に このまま 出て行っても いいのか・・?」
「いなくなっても いいのか?」
~つづく~
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by k56422
| 2022-11-21 19:30
| 身体教養・リニューアル版
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余談ですが、現在13年目の更年期の終盤は未だ静かに尾を引いているようです。
更年期は、更年期障害ではありません。
少女として正常に成長して初潮を迎えたように、女性として正常な経過です。
平均的に10年という期間にわたる”体の一大イベント”です。
当然男性にもあるはずですが、どうも10年以上後から始まるようですね。
この更年期の始まりが、私の気持ちを左股関節の不快感を遠のけてくれていた期間に、いつの間にか私と「間借り人」との関係性にも変化が起こっていました。
更年期が始まるまでの長い長い期間、私の関心事はいつも左股関節に固執して、その日その時を気遣いながら暮らしていましたが、その「気遣い」はけして優しさではなくて、まるで「腫れ物に触る」ような扱い方でした。
それが、更年期開始のジェットコースターのような数ヶ月の日々を過ごすうちに、いつのまにか普通に接するようになっていたわけです。
53歳で更年期が始まってまもなくですから、54歳頃に左股関節の、あの硬いアボガドの皮がむけたように、その中身が見えてきたようになっていました。
硬く濃い緑色のアボガドが熟して枯れていくのを見たことがあれば、それとソックリの赤茶けたアボガドのような空間に、スッポリとうずくまるように「間借り人」がいる姿が見えました。
~つづく~
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by k56422
| 2022-11-20 01:24
| 身体教養・リニューアル版
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「なんとかしなくちゃいけない」とは思っても、具体的にどうすればよいのでしょう。
幸いにも、48歳からロルファーとして仕事ができるようになり、自分の体をある程度客観的に観察できるようになりました。
その頃は、とにかく内空間が暗く閉ざされて氷のように冷たく感じられ、じっと座していると苦しさで体がひとりでに動き始めたり、少し歩くと左股関節で神経をすり合わせて火で焙っているような熱い痛みが感じられていました。
対処療法として、まずは保温。
そして、日常的な動きのなかに捨てるべきパターンをチェックしながら、日常生活を何事もないような気持ちで送りました。
それと並行するように、53歳から更年期が始まりました.
当時の私にとっては、この体の変化はプラスになってくれました。
というのも、更年期が始まりだした最初の3ヶ月間は、更年期特有の自律神経系による生理的反応が次々と現れてきて、その変化のひとつひとつを観察者として体験することに充実感をもっていたからです。
「せっかく体験するのに、勿体無い」
「私の更年期も、いつかきっと誰かのためになる」
という気持ちが勝って、クライアントの方々のお顔を思いながら、我が身をもって経験する楽しみを見つけたような気分でした。
ですからその間は、左股関節に強く気持ちが向くようなことがありませんでした。
わざと無視していたわけではありませんが、結果的にこの期間があったことが、私と「間借り人」の関係性を大きく変えてくれました。
~つづく~
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by k56422
| 2022-11-19 00:13
| 身体教養・リニューアル版
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